深夜の群集@病棟の談話室

利尿剤のせいで、無理やり1,2時間ごとに起こされてしまう。それでもって喉が微妙に乾く。そんなわけで、夜中に一回くらいは給湯室までお湯を汲みに行く。看護婦に頼んでもいいんだけど、歩こうと思える数少ない機会をみすみす逃すのももったいない。というわけで、トイレに起きるついでの気力を振り絞って給湯室まで20mほど歩く

そのたび、20m歩くのがこんなに大変だったかなと思う。長期の入院で、体力が落ちて歩くのが厄介になっている。その上に、点滴カーがゴロゴロと付いてくる。これが思った以上に鬱陶しい。正確にはゴロゴロと押して行く感じなんだけど、あんまり安定してなくて押しにくい。それでもって、長時間歩いていると点滴のポンプがアラームを鳴らし始める。しばらく立っていると血圧が上がってしまい、ポンプがそれに負けて点滴が流れなくなるらしい。これがまた鬱陶しい。

アラームがなると、看護婦がどこからともなくすっ飛んでくる。最初のうちはどの看護婦も真面目にアラームに対処してた。でも、夜中に徘徊するアラーム発生装置が私しかいないと分かると、「ベッドに戻ったら呼んでね(にこにこ)」になって、最後は「あらXXさんね、じゃあとで」になって、最後はスルーになった。まあ、歩いてる時にアラーム止めたって、どのみちすぐ鳴るんだけどさ。

とまあ、さまざまな鬱陶しさを撥ねのけて、消灯されている病棟の廊下を、給湯室がある談話室まで20mほど歩いていく。すると、夜中にもかかわらず結構な人数が談話室にいる。理由は明らかで、今日明日が山という入院患者がいるということだ。個室以外は人が大量に入り込むわけにも行かないから、呼ばれた親族はだいたい談話室にいる。

こうして夜中に談話室に人がいることは、残念ながらそんなに珍しくない。それにしても今日は人が多い。いつもなら、待機している人数はせいぜい3,4人くらいなのに、今日は珍しく15人くらいいた。しかも、小学生くらいの子供までいる。なかなか大変だ。親族も全体的にかなり若い。もしかすると患者は比較的若い人なのかもしれない。

大変なものだと思うのだけど、よく考えてみればこうやって集まってくれる人がいるというのは、実は幸せなことだと少し思った。今の世、某NHKでやっていた無縁社会ではないが、死に際を看取ってもらえる確率は、この先どんどん低くなりそうだ。平日の深夜に、15人から押し寄せてくるなんてことは、ここ数カ月の間でも一度も無かった

テレビドラマじゃないけど、死ぬ直前まで会話しながらいきなり「がくっ!」と死ぬとかありえない。だから、危篤になってから来たって、本人と会話できるわけじゃないし、結局はただ見とるだけなんだけどね。本人も誰に見とられたかなんて分かりゃしない。そもそも、いつから意識がないのかも、すでに自分じゃ分からんのだろうけど。

ただ、誰も見舞いに来ない中、一人ひっそり死んでしまうことがどれだけ寂しいことか、ここにいるとかなり実感できる。以前、頭で想像していたのより、ずっと重いことだと分かった。自分の死んだ後の始末だけが気になるとか、体がそれなりに動くうちだから言えるセリフだと思う。自分の体が思うように動かなくなると、冷めた心を維持をする余裕もなくなってくる。

誰だかは分からないけど、15人も夜中に集まってくれるなんて、いまどき相当に幸せなほうだと思うよほんと。残される家族は悲しいけどね・・・

持ち直すことを祈りつつ。