小説を書くこと

思えば、小学生の頃から文章を書くことが好きだった。いろいろな本を読んでは、その本に似たストーリーの小説のようなものを書いてみたりしていた。特に、小学六年生の頃に読んだアーサーランサムの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズがとても気に入って、図書館で同じ本を何度も何度も借りた覚えがある。あまりに何度も借りるので、図書館の係の人にも「ヨットの本(本の表紙にヨットが書かれている)の子」とか呼ばれてしまった。今思えば、これだけアホみたいに繰り返し読むなら買えばよかった。

内容は、ちょうど年齢的に同じくらいのイギリスの(でも年代は50年近く前の)少年少女が、湖や海をヨットで操って探検するというもの。イギリスといえば、ハリー・ポッターとかロード・オブ・ザ・リングとかナルニア物語とかのファンタジー小説や、シャーロック・ホームズや名探偵ポアロのような推理小説というイメージが(個人的には)あったんだけど、このシリーズはファンタジー要素が一切なく、イギリスの人たちの(1900年代前半の)暮らしがそのまま書かれている。

そこに描写されている風景、気候、ヨットを使って湖で遊ぶような習慣、果ては帆船で外洋に出たり、中国にまで行ったりと、日本の子供の生活からは考えられない冒険に満ちている一方で、妖獣が出たり天変地異がおこるといった非現実的なことは起こらない。人間同士の衝突や押し迫る自然の脅威を、子供の力で「現実的にできる範囲で」、操舵技術、人との交渉、時には勝負や戦闘で解決したりする、というところが個人的によかったのかもしれない。

何といっても、とかく生活習慣が違うことに興味津々だった。主人公たちは、どこにいても必ず「お茶」を飲む。それも決まって「ミルクティー」。牛乳を近くの酪農家から直接もらってくるという描写にも驚いた。日本ではちょっと考えられない。そして食べるのは「サンドイッチ」や「ペミカン(コンビーフ)」、「肉のパイ」、そして「ジンジャーエール」。この「肉のパイ」なるものが、当時はどんなものか想像がつかなかった。いつか、ナンシイやジョンがヨットを走らせた湖に行ってみたいと思いつつ、未だそれは実現していない。

この小説にかなり感銘を受けて、日本の子供を主人公におきかえて、山を登ったり海を横断したりする小説をかいたことがある。小学校の授業の合間に、板書をとるふりをしつつ、ノートの下に隠した大学ノートにこっそり書いていた。しかし、なにぶん小学生のことなので、いろいろと知識が足りず、例えば山を登るシーンなどの描写をしようとして、どう書いたらいいのかわからず、仕方ないので日曜日に実際に近所の山に登ってみたり、川に入ってみたり、林の中の道なき道を付き進んでみたりと、今思えば危ないことを結構してた気がする。

小説を書きたいと思ったもうひとつのきっかけは、方倉陽二氏の「まんが入門」という単行本だった。Wiki の作品録にはないが、片倉氏自身とアカンベーが登場して、マンガの書き方、特にストーリーの作り方について解説しているという、おそらく当時他にはない本だったように思う。この本の中ではまず四コママンガを作ることを通して「起承転結」「序破急」といったストーリーの流れの組み立て方が書かれていた。次にキャラクタの設定の作り方、葛藤や対比を使ったテーマの強調方法など、「絵の描き方」ではない部分に紙面の多くが割かれていた。

本の後半では遠近用やベタ、スクリーントーンの使い方、コマ割り、ふきだしのつけ方、ペンや紙などの道具の選び方かといった、描画技術についてもかなり細かく書かれていて、子供向けとは思えないほどに実用的な内容になっていた。今となってはこういった本は普通に見かけるものの、1980年台当初の本としては他に類似書はなかったのではないかと思う。

この本も何度も何度も読んで、ついにはバラバラになってしまった。たぶんもう捨てられてしまったかもしれない。この本を読んで、思ったのは「マンガを描くには道具を買わないといけない=金がかかる=小学生にそんなものを買う金はない。」ということ。でも、小説なら鉛筆とノートだけで書ける。ならば小学生でも小説なら書けるのでは?と思ったのが発端だった。

その後、大学生になるまでの間に10編くらい小説を書いた(書こうとした)ものの、完結したものは 3 編くらいしかない。どうも構想が壮大になる傾向にあって、分量的に4,5冊くらいでようやく完結するものを目指してしまうからだった。完結した長編がひとつだけあり、高校生のときに書いた長編ファンタジー物がある。自分以外の人の目に触れたものも、おそらくこれだけだったように思う。ただ、この原稿は友人宅のどこかに埋もれてしまっていて、今となっては読み返すことができない。拙い内容なので、埋れたままでもいいんだけど、ちょっと惜しい。

その後、小説を書くような時間も機会もなかなか無いまま結構な時間が過ぎたけど、幸か不幸かまとまった時間が取れるようになった。これは何か書くチャンスなのでは?ということで、何か書いてみようと画策しているところ。