ピアノの運指技術を数値化する試み (1)

ハノンやツェルニーのような練習曲を、日々繰り返し練習するのは多くの人にとって苦痛なもので、この単純作業みたいなものに嫌気がさして,ピアノをやめてしまう人は結構いると思う。自分の好きな曲ばかり弾いたほうが楽しいのは間違いないんだけど、そうやって基礎練習を怠ると、あるところで限界にぶちあたってしまったりする。ピアノに限らないけど、基礎というのは大事なもので、一定のレベル以上に上達しようと思ったら、繰り返しの基礎練習というのは欠かせない。

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ピアノの場合は特に、練習量に比べて上達の速度が非常に遅いこと、また上達したことが目に見えて分かりにくい。つまり、練習曲をさんざん練習してみても、うまくなっている実感があまり得られないことが、やる気が続かない一因なんじゃないかと思っている。これを解決するために、少なくとも今の自分のピアノの運指技術レベルがどのくらいなものかが、見た目にはっきり分かるようにする必要があると思う。そこで、ここでは運指技術を可視化する方法について考えてみたい。

なお、ここで可視化するのはあくまで「指を操る技術レベル」であって、演奏技術の高さ(いわゆる,ピアノを弾く上手さ)を可視化することは目指してない。ピアノの演奏がうまいかどうかは、多分に感性の問題が入り込むので、単純な数値化は難しいと思うから。

均一に演奏することに関する運指技術の数値化

運指技術と一口にいっても、その技術を構成する要素は数多くあり、すべてを一度に可視化するのは難しい。コルトーのメトードではその要素を五種類に分けているが、それもかなりの大分類である。数値化することを考えると,より細かい要素にブレークダウンする必要があろう。とはいっても、いきなりすべての要素について考察することは難しいため、ここではまず個々の指を均等にコントロールする技術レベルを数値化することを試みる。

そこでまず、演奏者が意図的に「均一に弾こう」として弾いた曲が、意図通りに均一に弾かれているとすれば、演奏者が(少なくとも均一に弾くことに関して)指をコントロールする技術は完璧だと言えると考えた。つまり、演奏されたデータを分析して「指が均一に動いている度合い」を算出できれば、前述の運指技術に関しては数値化ができる。

この前提に基づいて、数値化する方法を以下のように考えた。

  1. まず、ハノンのような機械的な練習曲を演奏者に弾いてもらう。演奏者には予め「すべての音を均一に弾くように」という指示を出しておき、電子ピアノ等を使って演奏データを取得する。
  2. 取得したデータを分析し、演奏された個々の音符について、以下の要素を抽出する。
    • 打鍵タイミング(指定されたタイミングからの時間的なずれ: gatetime)
    • 鍵の押下持続時間(音符の長さ: length)
    • 打鍵の強さ(音量: velocity)
  3. 抽出したデータについて、平均値からのばらつき(標準偏差)を計算する。このとき、標準偏差が 0 に近ければ近いほど、均一に演奏できているといえる。

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模範演奏の SMF ファイを Domino で表示したところ.mml2mid を利用して,プログラムで自動生成したもの.velocity, gatetime, length すべての標準偏差が 0 になるように生成してある.

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私が自分で演奏した SMF ファイル.クオンタイズの機能を off にして録音してある.上と比べると分かるように,gatetime, length にばらつきがある.velocity は色の濃淡で表されていてやや分かりにくいが,ばらつきが存在する.

実験

以上の方法を、実際に試してみた。曲目としては、ハノンの 2 番の譜面を使った。2番なのはただの好みの問題。ハノン 2 番の譜面イメージは、上のほうに貼っつけてあるやつ。譜面の pdf は以下に置いた。

演奏者は自分自身。実験の手順は以下のとおり。

  1. ハノン2番を電子ピアノで演奏し、SMF データとして PC に保存する。データの作成にはフリーソフトの Domino を使用。テンポは♪=200とした。
  2. 自作プログラムにて、SMF データから音符データを打鍵した指ごとに分類する。例えば右手4で打鍵した音符データばかりを集めたリスト(音符リスト)をつくる、というイメージ。右手4と左手4は別の指として区別する。データには、音長、音量、打鍵タイミングのデータを含む。
  3. それぞれの指についての音符リストについて、平均値と標準偏差をとる。

分析結果をグラフ化したものを以下に示す。

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音長 (length) -
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音量(velocity) 打鍵タイミング(gatetime)

黄色の棒は、平均からのデータのずれ度合い(%で表示)で、橙色の棒は標準偏差を示している。x軸の 1r, 2l みたいな表記は、1, 2 という数字が指番号を示し、l, r はそれぞれ左手、右手を表す。al は「すべてのデータ」を意味する。

このグラフの見方としては、橙色の棒、すなわち標準偏差が 0 に近い指ほど、ある指が打鍵するときのデータのばらつきが少ない = コントロールが「均一に」できていると解釈できる。以下これを「指の安定性」と呼ぶことにする。黄色の棒については、他の指と比べたときの相対的なデータのずれ(%)を表している。これが 0 に近いということは、「どの指で打鍵しても均一に打鍵できている」ことを意味する。マイナスの値があるのは、平均から下にずれている(音量で言えば、平均より音が小さい)ことを意味する。以下これを「指の均一性」と呼ぶ。

結果の考察

音長については、右手の 1, 5、左手の 1 が安定性が高く、逆に右手の 2、左手の 3 は安定性が低い。しかし均一性については安定性と相関がなく、右手の 1, 5 について言えば、安定性は高いものの均一性は低いという結果になっている。これは、右手 1, 左手 5 が他に比べてコントロールができていないということではなく、これ以外の指のコントロールができていないことが、こうしたデータのばらつきに表れていると考えるほうが自然だろう。

音量については左手の 4,右手の 3 が均一性が低いものの、安定性は高い。右手 3 は音が強すぎ、4 は弱すぎる。打鍵タイミングについては、指ごとの均一性がかなり低くなっており、0 に近い指がほとんどない。正確なタイミングで打鍵できてないことが一目瞭然になっている。

つまり、

  1. まずは、打鍵タイミングが指ごとに均一になることを意識して練習すべし
  2. 右手 3 はやや弱く、左手 4 はやや強く意識すべし
  3. 右手 1, 左手 2, 5 以外の指について、鍵を離すタイミングを少し早くするように意識してみるべし

というようなことが分かった。

この結論は私がデータを見て下しているものだけど、目標としては技術的に足りない部分の指摘や、それを補う練習課題について自動的に提言してくれるようにしたい。

評価法の改善

今回は演奏テンポを♪=200としているが、テンポを変えて演奏したデータを取得することで、より細かな指のコントロール度合いを取得できると考えられる。例えば♪=100から110, 120, 130 ... 200 と 10 刻みでデータを作って、テンポの変化による安定性、均一性の変化を見ると、どのあたりで指のコントロールが破綻するのかが分かると思われる。また、練習するときの適正なテンポがどのあたりにあるのかもわかりそうだ。

来週あたりに、ピアノがうまい知人にデータを作ってもらって、実際にうまい人が弾いたときにはどんなデータになるのかについても、調べてみる予定である。